大江卓球教室 卓球と私
トップページ
卓球の技術
卓球クラブ紹介
卓球と私
卓球掲示板
リンク
メール
フォアハンドの構え「卓球は構えが命」私は卓球を本格的に開始して50年以上になります。心から卓球が好きで、高校は卓球部入部が目的でした。好きな卓球人生を全うすることが私の生き様だと思っています。
 50歳までは卓球を続けていることが夢でした。その夢は実現しましたが、もう一つの夢が「卓球専用練習場を自分で保有する」ことでした。残念ながら、それは現在まで実行していません。
 はかない夢のまま終わるかも知れません。いつか夢が実現できると楽しいだろうなっと思っています。願望を遥かに越えた夢ですが、明日に向って頑張っていきます。
私の卓球活動の歩み
目次 ● 中学時代から本格的に卓球開始

 運動が大好きな私は、小学校で得意だった野球部への入部を考えて体験練習に参加しました。しかし、大きな連中が大勢いること、野球用具が高いことから断念するや、次に相撲も強かったので柔道をやろうと当時稽古をしていた警察の柔道場を見学しました。ここでも大きな人が多く、とても勝負にならないと感じ諦めました。

 数日後に中学校の講堂兼体育館での卓球の練習状況を見にいきました。あまり上手とはいえない先輩女子が不器用に卓球しているのをしばらく見物をしていましたが、すぐに私もいっしょになって卓球をしました。小学校の講堂でピンポンごっこをしていたので、私の方が先輩女子より上手でした。そして、ラケットひとつでできる安上がりな卓球部に入部したのです。10名程度入部しましたが、卒業するときは私一人でした。その間、県体に出場もしましたが、県東部大会個人3位が最高の成績でした。(当時、練習は裸足でしたね)


目次

● 高校時代の卓球

 高校は、1年生にしてインターハイで優勝した実績のある高校に決めていました。入学と同時に入部して、毎日練習をしました。正月元日ぐらいが唯一休みでした。試験期間のときも卓球しないと不安になるのか、勉強よりも好きなので練習好きな同級生と申し合わせて、最小限1時間は練習をしました。

 毎日、3Km程度の走り込みは、あまり好きではありませんでしたが、中距離競争では最終的にはクラスで一番速く走れるようになっていました。今では、決してやらない「うさぎ跳び」は1年生のときから得意で3年生よりも速かったのですが、卓球のためにはなっていませんね。高校でも、卒業するときには卓球部男子は3名に半減していました。

 1年生、2年生では補欠でした。インターハイにいったものの出場することはありませんでした。3年生でキャプテンになり、県大会ではいきなり第一シード選手となりましたが、結局県内3位、中国大会3位が最高の成績でトップ選手にはなれませんでした。
 しかし、卓球の楽しさ、奥の深さをトコトン追求したいという夢をこの時期に培うことができましたので、高校時代が現在の卓球人生の基礎を築いたことは間違いありません。

(高校時代は卓球漬けの生活)
このころから「バタフライ」の月刊誌「卓球レポート」がありましたので、部活での反省と卓球レポートが卓球の研究材料でしたね。自宅では、卓球雑誌を読みメモしたり卓球のフォームを描いたりして卓球のことばかり考えていましたよ。自宅での勉強や宿題をした記憶はよみがえってきませんね。高校1年の元日から毎日日記をつけていましたが、専ら卓球日記ばかり書いていたように思えます。

毎日、ランニングと手首の強化訓練を欠かさずやっていましたが、手首の強化法は今も続いています。これは、中国の卓球選手が手首を「こうして鍛えている」と卓球レポートに記載されていたからです。
高校時代は、フォアハンド攻撃が中心の練習ばかりでした。基本的にはバックハンドは禁止でした。部活では先生がいないときだけ3年生になってから、試すようにバックハンドの練習をするようになりました。自宅でも、いずれ試合でも使ってみたいとバックハンドの素振りやシャドープレーでのバックハンド攻撃を密かに特訓していました。

学校の代表でなく市の高校代表で都市対抗卓球大会に参加したときは、先生がいないので密かに鍛えたバックハンド攻撃を多発しました。このときは全勝して、県大会では優勝に貢献することが出来、とても褒められたことを覚えています。同じ市の一般代表の中には、世界選手権大会に参加した女子選手もおられたので、都市対抗県大会では高校男女と一般女子は全勝となり比較的楽に優勝できたのです。各市の代表選手は、高校生男女各1名、一般男女各2名、ベテラン1名の構成だったですね。


目次

● 昭和36年 会社・入社1年目

 私が社会人として製鉄会社に入社した動機の一つは、高校時代の卓球部の先輩も入社している会社なので、会社では卓球部の活動も相当熱心に違いないということでした。

 入社と同時にさっそく、卓球の練習をするため会社の体育館で練習を開始しました。最初は高校時代卓球部だった2名の先輩達も練習や試合にも出場していたのですが、すぐに退部していきました。私は一人でも体育館に行って卓球台を工夫して、打ち込みやサーブの練習等をすることもありました。

 ともかく卓球が好きで身体を動かすことが楽しかったのです。なにしろ会社の新しく広い体育館を利用でき、シャワー付きロッカーもついている環境は、当時にするとこんな快適な空間はありません。ある日「君は熱心だね、要望があれば言ってきなさい」という理解者がおられ、間もなく体育館に卓球専用控室も確保することができ、遅くまで卓球ができることが本当に幸せでした。入社後は地域・市内の卓球大会では個人戦で優勝をしましたが、団体戦では4人の選手が揃わないのでどうにもなりませんでした。

 当時は、製鉄会社では多くの者が4月の定期採用でなく順次採用というやり方で、同年次の者は自宅待機組が多くいました。私は幸い事務職として人事部門に配属されましたので、採用内定者の履歴書をまさぐり、高校時代での卓球戦歴を見て、早々に入社させるように嘆願しました。すると意外にも了解を得られ、間もなくインターハイにも出場した実績のある2名が入社して、卓球部は一気に活性化して私も卓球の練習に弾みがつきました。


目次

● 20代の卓球は選手兼監督

 会社の卓球部員は私だけが事務系社員でしたので、選手兼マネージャーとして卓球部の中心的役割を果たさざるをえない状況になりました。

 部員としては高校時代に卓球部だったとい人たちも含め男子が10名程度いましたが、卓球大会で試合に通用する選手としては4名だけでした。4単1複の団体戦には実力が拮抗していた20歳前後の4名が選手として出場してきましたが、1名でも勤務などの都合で欠けると団体戦は苦戦をすることになっていましたので、選手の勤務の都合で補欠の人をいれて参加するときは県内大会では苦戦を余儀なくされました。

  しかし、近郊4市などの地域大会では、圧倒的な強さを発揮して団体戦では優勝、個人戦はベスト4には2〜3人が位置していました。

 なんとか4名の結束を図っていい成績を残したいと考えて、卓球大会への出場だけでなく、新しい卓球台を購入したりユニフォームなども出来るだけ購入をするように強力に会社の福利厚生部門に働きかけてきました。ラケット、ラバーに卓球バッグなど会社で購入する体制を作りました。このときに会社での予算とりや交渉してよりよい状況を作り出す技を身につけたのかも知れません。なにしろ会社の相手は10歳〜20歳も年上の方ですが、真剣に相談すれば必ず道が開けることを体得したように思えました。

 卓球の試合は、山口県内では圧倒的に強かった「協和発酵」チームには勝てませんでした。県内2位まで全国大会へ出場できることもあり、県予選を経て都市対抗全国卓球大会へ2回出場しました。

 そして3回目も県2位で、全国大会が「青森県」での開催とあって選手一同、楽しみにしていましたが、旅費は掛かる勤務は数日間抜けることから、会社から参加を見送るように言われました。多くの卓球部員はガックリして中には練習を止める人も出ました。この時は、私はもう監督兼選手として活動していましたので、全国大会だけが目的ではないと卓球の練習に意欲を示してきましたが、それ以後4人の選手が揃う状況は作れませんでした。

 一方、世の中は変わりつつありました。昭和40年代前半は多くの人が車を持つようになり、楽しみもボーリングなど遊ぶ対象が広がっていました。

 卓球部は練習する人が少なくなり、試合では県内で通用できない体制となって、私は練習場所を会社の体育館から、新人の卓球選手が入社している隣の会社の卓球練習場に通うようになりました。団体戦などは諦めざるをえないので、個人戦だけ出場していました。

 やはり、私が会社以外で卓球していては卓球部も駄目になると思い、邪道ではあるが女子卓球部員を入れようと、女子社員に働きかけると5・6名が集まってきました。激しい卓球の練習から男女入り乱れてのピンポン練習場になり、再び卓球部員が増え始めましたが、所詮ピンポンなので卓球選手強化にはなりません。この楽しい男女混合での練習体制も3年程度で結婚退職などから減少していきました。新人の入部もありましたが、選手として使える人がいなかったので、男子卓球部も実質的に解散状態になりました。

 それでも私は好きな卓球の練習は続けていました。


目次

●30代の卓球人生(若手選手採用・市の理事長・卓球部休部)

 私の仕事は新日本製鐵褐製鐵所(2003.10からパイプ部門は新日本製鐵褐鋼管工場として、メインのステンレス部門は「新日鉄住金ステンレス褐製造所」に分社、2012.10新日鐵と住金が合併して新日鐵住金梶jでの人事管理でした。会社の方針から、しばらく高校卒の採用を控えていたのですが採用再開する動きがあると、私は早速運動選手を採用するように働きかけました。「学業成績優秀でやる気のある積極的なスポーツマンが会社にとって望ましいですよ」「是非とも高校の運動部で活躍した人材を採用したい」と会社の人事課長に懸命に説明して、基本了解をとりつけました。早速、私は高等学校を訪問する採用活動を開始しました。事務系技術系のスタッフ数名が私の担当でした。

 最初に学校訪問をしたのが母校柳井商業高校の卓球部でした。インターハイに出場した実績のあるシェークハンドのカット中心の選手で学校の成績も優秀というので、早速会って話をしました。なかなかの好人物でした。採用したいので是非、新日鐵に入社して卓球をやろうと、もちかけました。本人は銀行が第一希望ということで、そこに応募するつもりでいましたが、私は「新日鐵」の素晴らしさを説明して、長い付き合いの卓球部の先生や在学中にお世話になった進路指導主事の先生にも推薦するようお願いしました。

 また、別な工業高校からも卓球部の選手の推薦があり、この年は新人2名が卓球部に入部しました。(私は採用試験での面接委員を担当して、採用可否の原案を作りました)次の年も卓球選手の新人採用があり若い卓球部員が増えました。しばらくは卓球部も練習や県内の試合に参加しました。しかし、県内で通用する選手には育たず、30数歳の私の方が安定していました。若い人たちはやがて、練習への参加も少なくなっていきました。

 私は、個人戦ではサーティとして県予選を経て中国大会へ2回出場しました。

 この時代は光市卓球協会の世話役もしていて、理事長として大会の世話活動もしていましたので、会社での卓球活動から地域の卓球活動に転換することを考えていました。練習場所も会社の体育館から市の「勤労青少年ホーム」を卓球練習場として毎日練習するようになりました。市役所の人や一般市民からの卓球愛好家と合同練習するようになりました。様々な方が卓球したいと集まり、余りに卓球する人が増えて3台だけの練習場はいつしか満杯状態でした。職員の方から「ここは本来25歳以下の勤労者が利用する場所ですから・・・」ということになり、30数歳の私は、ここでの卓球の練習を断念せざるをえませんでした。

 この間、「卓球クラブ」の発足や「女流卓球・レクレーション卓球」などへと発展した卓球愛好者との出会いもありました。

 外部での練習場所がなくなり、元の練習場である会社の体育館の片隅で練習を再開することにしました。しかし、以前のような活気のある卓球部の活動は、場所だけでなく若い選手の情熱は薄らいでいましたので、間もなく卓球部を休部としましたが実質的廃部を余儀なくされました

 私は新日鐵の管理職となっていました。仕事中心の忙しい状態が続き、会社の卓球部もないようでは公の卓球活動はできませんので、光市卓球協会理事長からも降りることとなりました


目次

●40代の卓球人生(勝った負けたより人の心)

 私は40代において完全なオールラウンドプレーヤーに徹することでミスの少ない卓球を目指す素地ができたような気がします。仕事中心の生活でしたので、卓球の練習をする機会が少なく攻撃力が衰えていましたから、やむを得ない戦法です。

 「体力を消耗しなで試合には勝つ方法」とか「効率的なショートでミスしない卓球」「対戦相手の弱点をさり気なく攻める卓球」などで高齢化に対応するテクニック卓球を試行しはじめました。

 好きな卓球は、年に数回、地域の大会に参加する程度のものになりました。卓球の練習は試合の前だけする程度で、練習する機会は極端に少なくなりましたが、試合に出場しても「滅多なことでは、負けないぞ」という気概と「楽しい卓球が面白い」という気持ちが同居していました。

 40代半ばから卓球の練習を再開しました。自宅近くの小学校の体育館での卓球の練習です。参加者の多くは、週2回程度の軽い健康保持のための卓球でいい汗をかくことが目的です。僅か10名程度の卓球同好会です。ここでは、私は卓球指導ということで会費は受け取ってもらえませんでしたが、卓球仲間とプレーすることと指導する喜びを感じながら「楽しい卓球」に徹しました。

 この卓球クラブから参加する卓球大会があると言うので、私も誘われるままに近郊の町の卓球大会に、賑やかしとして一般男子の部に参加しました。平成2年48歳でしたが、このときは若い人にも勝って全て2−0で完全優勝をしました。

 卓球同好会のメンバーは、いわゆる素人卓球の方ばかりでしたが、毎年2回の混合ダブルス卓球大会にも参加していました。この混合ダブルス卓球大会で上位成績となったときには、大祝勝会を開催して卓球大会を遥かに越えて盛り上がりました。勝っても負けても祝勝会でした。運動神経をどこかに忘れてきたような、昔のお嬢さんとの混合ダブルス卓球は、勝ち負けには関係がない楽しい体験でした。「勝った負けた」より、人との触れ合いや人の心が一番という気持ちになったのは、このクラブのお陰です。

 こうした時期も現代の卓球スタイルを形成するために役立ちました。所属している卓球クラブだけでなく、「いつでも、どこでも、誰とでも」卓球をすることに徹して、いろんな卓球クラブに出掛けて練習や指導を喜んでやりました。さながら「さすらいの卓球プレーヤー」でした。
結局、40歳代では県レベル以上の卓球大会には出場することはありませんでした。


目次

●50代前半の卓球は技の探求

 50歳まで卓球を続けることは、私の若いときからの念願でした。それは何とか達成することが出来ました。私は、40代では県レベルの大会には出場することはありませんでしたが、国体予選県大会に50歳以上の部がありましたので、それに申し込みました。

 結局、優勝戦では敗れました。50代の国体候補選手として強化合宿の参加要請がありユニフォームだけは頂きましたが、仕事の都合で強化合宿練習への参加は断念しました。

 この時期、西日本卓球選手権大会にも50歳以上の部で参加しました。そこそこ50歳代ならどんな人とも対戦できるという手応えはありました。

 卓球は奥が深い、試合よりも卓球の技を探求しょうと、専ら卓球の技術面を極めることに力を注いできました。ですから、50代になって、どんな方とも対戦したい、どんな人にも卓球を教えたいという気持ちがより大きくなりました。

 仕事の都合で広島勤務のときも、近所での卓球クラブを探して練習するようになりました。二つの卓球クラブに所属して、週2〜3回練習をしていました。ここでも卓球の出会いがあり、新たな技を身につける発見がいくつかありました。


目次

●多くの人との出会いが楽しい

 実際に初めての相手と卓球の練習をすることで、自分にはない、その人の独特の技に出会うことがよくあります。だからこそ、出来るだけ多くの人と練習をすることが自分自身の技を磨くことになります。卓球が上手下手の如何に関わらず、人それぞれに特徴があります。その特徴を自分にアレンジして吸収することで自分の技が深まってきます。50歳を過ぎて、改めて卓球の奥の深さを実感することができたのです。

 卓球の指導を相手の立場状況に応じて、あるいは相手の実力に合った本当の指導ができるようになったのは、50歳になってからではないでしょうか。それまでは、自分の卓球の技術と一般論を相手に伝えるだけの指導でした。卓球の技を言葉で説明しても、実際には指導する者と指導される方には様々なギャップがありますので理解されないことが多いことに気付きました。

 だから、説明は出来るだけ少なくして、指導される人自身が体で気付き、技のコツを体感してもらうよう工夫をすることが指導者の役割なのです。そのための卓球に関する個々の技術的指導について、私自身が取り組んで行こうと考えるようになっています。

 卓球すること自体が楽しいと感じていたので、時間さえあれば誰とでも何処にでも出掛けていきました。








座右の銘は「泰然自若」です







山本五十六元帥の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」 を卓球指導でも実践しています。


2004.3「卓球が楽しいからこそ卓球の技への探求が続けられるのです」


楽しいからこそ卓球は続けられます


完全無欠の健康体です


気分はまだまだ青春時代 ラケット年齢30代


2008.1.14 現在 元気が一番





平成21年 体調を崩し数日卓球ができなかったが、卓球の技は進化発展する60代後半を元気に頑張った。











70歳誕生日記念ショット


2013.5.21


72歳誕生日記念ショット




73歳 2015.6



●55歳 北九州市 中井卓球クラブに入会

 平成10年4月、仕事の関係で山口県の光市から北九州市に単身赴任をしました。(その後、家族帯同)既に55歳を超えていました。早速、近郊の卓球が出来そうな施設を見たり聞いたりして探しました。周辺の公民館や体育館を6箇所も回って、落ち着いた先が会社の寮の近くにある小学校の体育館を地域に開放している卓球クラブがありました。そこは毎週月曜日が卓球練習日の「中井卓球クラブ」です。

 「中井卓球クラブ」は、ご高齢の方が多く卓球のレベルは相当に低く練習相手にはならないだろうと思いましたが、卓球を通じて適度な運動ができるので入会しました。平成14年には、メンバーも増えていますが、相変わらず素人卓球のクラブで公式の試合へ出場する方は誰一人いません。はっきりいえば「中井卓球クラブ」は卓球の下手な人が中心の仲良し卓球クラブです。

 でも、ここでの卓球も捨てたものではありません。長く人生の喜怒哀楽を歩んできた方が多く、人生の達人たちは卓球が好きで楽しい人が多くいます。そして、下手だけど熱心、汗いっぱいかいて元気でワイワイやる楽しい卓球に感謝しています。

●平成12年以降「新技マスターにチャレンジ」

 北九州市での2つ目の卓球練習先は「井堀卓球クラブ」でした。このクラブには、いろんなスタイルの卓球選手・プレーヤーがいます。やがて、各卓球プレーヤーの癖や個性に慣れてくると、練習試合では負けることが少なくなってきました。特に40mmボールになってからは、メンバー全員に勝ち越しています。元気のいい若いプレーヤーと対等に勝負するには、パワーでは到底かないません。緩慢で悠長な高齢者の卓球スタイルでは負けてしまいます。
 
 そこで、瞬間的バックハンドの技で対処することが最も効果的な技でした。肘と手首の返しで繰出すバックハンドの技に磨きをかけました。そこから「瞬間的バックハンド」の攻撃でポイントをゲットする技が確立したのです。
 また、対戦相手がバックに回り込んで打ち込んでくる。これをかわす技が「フォアサイド流しの技」として完成しました。これも、相手の様々な卓球スタイルから、それに対応するための技を開発せざるを得なかったのです。しかも、コーナーぎりぎりをつくコントロールが要求される技を歳に関係なく体得できました。

 55歳以降においても、なおかつ「卓球の技」が身につくのですから、「卓球とは実に素晴らしいスポーツ」だと実感しています。「継続は力」このことを明らかにするために卓球を続けたいものです。

● 60歳から卓球三昧

 平成14年5月末日で北九州市の新日鐵関連企業「光和精鉱」総務部部長を60歳で定年退職しました。そして6月、郷里の光市に帰郷しました。北九州市には4年強勤務しましたが、その間に仕事でも卓球でも多くの人との出会いがありました。その間、パソコンもなんとかこなすようになり「大江卓球教室」のHPも立ち上げました。

 光市に戻ると、早速卓球指導の依頼があり「楽しい卓球が出来るのなら」と引き受けています。 平成14年8月時点では、光市、下松市、周南市(熊毛)で毎日どこかで卓球ができる状況になっています。
 初心者、ベテラン、昔の卓球仲間など多くの人と卓球がプレーできる喜びと、卓球の練習相手やHP卓球愛好家の皆さんと卓球の楽しさを感じ合うことが心から嬉しいのです。
 何より卓球が活性化して卓球愛好家が増えることが最大の喜びであり、「ライフワークとして卓球活動・指導をやり続ける」そう考えています。

 私は1週間に7つの卓球クラブで12回の卓球ができる環境にありますが、実際には週9〜10回程度の卓球活動を展開しています。出来るだけ多くの人と楽しい卓球をすることを前提にして、原則として1日に1回卓球することが理想的生活と思っています。まさに、卓球三昧の生活です。

 高齢と共に卓球の動きは、すっかり鈍くなってきましたが、それをリカバーするようにバックハンドが冴えてきました。バックハンドのドライブに、裏面打法として「裏面カット」「裏面ドライブ」も卓球の技として身についています。そして、何よりもサーブの種類が豊富なのです。サーブを自在に出せるのは、卓球の技を継続して工夫研究し、それを練習してきたからこそです。
「いつでも、どこでも、誰とでも」楽しい卓球をすることを信条にしています。そして、今後も元気を出して卓球を続けていきます。健康のための卓球より、元気を出すための卓球を目指しています。

● 平成15年

5つの卓球クラブに週9回の卓球指導を継続してきました。

この年、裏面を一枚ラバーから表ソフトラバー(薄→中)に切り替え裏面打法(ドライブ)の技が完成しています。また、中ペンを使ったシェークハンドでの実践指導が完全にできることは、年齢を超えて卓球の技は向上することの証明となりました。
ペンもシェークも裏ソフトラバーでも表ソフトラバーでも、ドライブやカットなど多彩な技を自在にこなせるようになって、卓球がますます楽しくなったと感じられた年でした。

● 平成16年

卓球活動は昨年同様に5つの卓球クラブに週9回の卓球指導は続けることができました。裏面打法も一層磨きがかかってきました。デジカメビデオの導入の図ってメールで送信する体制も整いました。
卓球練習会は春休みと夏休み、年2回だけ開催しました。

● 平成17年

卓球指導は週9回実施することができました。練習参加者希望者は多いのですが、ボランティアでの卓球活動にも支障がでるので増やせません。
卓球指導が中心なので試合への参加は少ないのですが、試合にも数回参加しました。中ペンでの裏面打法はドライブ、スマッシュ、カットにうち分けられる技術が確立しています。

● 平成18年

卓球指導は5箇所で週9回継続してきました。
1月2日には母校の練習始めにも参加して高校生と練習しました。
3月には東京のバタフライ道場でNHK-BS放送の「熱中時間」の撮影があり全日本卓球選手権で4回優勝している松下浩二選手のカットを打つこともできました。ピン球の回転を高速カメラで撮影したのですが、3時間撮影してテレビには数秒だけが映っていました。そして、巌流島でアートディレクターで卓球6段の浅葉克己さんとの卓球対決もあり、これが4月にテレビ放映されました。とてもいい思い出になりました。
卓球練習会は少数の参加者でも気軽に開催してきました。

● 平成19年

卓球指導は5箇所で週9回継続してきました。
年齢を考えて週一回は完全休養日も必要ではないかと考えていますが、3月からは初心者コースへの参加者が増え、10月からは週9回の卓球指導とは別に、月1回だけ卓球指導の要望にも対応しています。
大勢での卓球練習会開催は少なくなりましたが、ミニ練習会を適宜実施してきました。

● 平成20年

正月には高熱で数日間思わぬ休養をとりましたが、卓球指導は5箇所で週9回継続してきました。卓球活動を休むと、その日が充実した気分になれません。元気が出せる限り楽しく元気が出る卓球活動を続けてきました。
不特定多数での卓球練習会はありませんでしたが、卓球仲間に小学生、中学生、高校生が練習に参加するようになって卓球指導の幅が広がっています。ペンよりシェークでの卓球プレーが増えてきました。また、カットやセカンドラケットでのツブ高打法も自在にできる感覚が身につきました。

4月に出版社から卓球の本を出したいので協力してもらいたいという依頼があり、卓球活性化に寄与できると思い快く了解しました。再整理すれば、サイト「大江卓球教室」の内容から卓球の技術・練習法の本になりうるポイントが多くあります。東京のバタフライでのDVD撮影にも立ち会うことができました。

● 平成21年

卓球指導は5箇所で週9回継続してきましたが、その間に春には腹痛で数日間卓球活動休止、夏にはめまいで数日卓球活動休止を余儀なくされました。いずれも原因不明でしたが、その後は元気丸出しで卓球活動に邁進してきました。
1月下旬に発売となった卓球の本「卓球 基本と練習メニュー」DVD付きは、池田書店から出版され、売れ行き好調で秋には増版されました。大江卓球教室の集大成であり、卓球の教科書にもなりうるロングセラー本だと確信しています。

● 平成22年

卓球指導は従来通り5箇所で週9回継続することができました。1年間怪我も病気もなく元気に卓球活動に専念してきました。サイトや噂を聴いて卓球したいという申し出が増えてきたことは嬉しいことでした。
昨年発売の卓球の本「卓球 基本と練習メニュー」は売れ行き好調で、再度増刷の運びとなる旨、出版社から連絡がありました。

● 平成23年

卓球指導5箇所、週9回は継続中でしたが、7月梅雨明けと共に猛暑日が増え、しばらく週1回練習を休むこととしました。ギックリ腰で数日間の休養はありましたが、卓球活動が毎日であることには変わりはありません。当分は週8回の卓球活動となりましたが、むしろ、卓球クラブ入会者が増えました。

● 平成24年

卓球指導は、5箇所で毎日週8回実施していました。プレーしながら指導することを基本にしていますが、5月には「古来稀なる年齢」に達しました。そこで、年齢・体力も考慮して卓球指導の回数も減らしていこうと考えましたが、卓球をやりたい高齢者層の卓球クラブへの入会者が増えました。そのため、卓球指導・練習回数を減らすことはなく、自然体で明るく楽しく卓球指導することに徹しました。

● 平成25年 

卓球指導は、5箇所で毎日週8回実施していましたが、4月からは月曜日を休養日としました。週6日は体力気力が続く限り自分自身も卓球の技を磨きながら、個々人の特性を伸ばす卓球指導をしました。卓球クラブのメンバーが増えてフル稼働しても時間が足りない時もありましたが、元気に卓球指導を継続してきました。

● 平成26年

卓球指導は日曜日から金曜日まで毎日どこかで実施してきました。(2月からは土曜日のみ卓球のない休養日としました)
指導している卓球クラブは5つで光市、下松市、周南市にあります。卓球クラブのメンバー約40名はベテランから初心者まで色々ですが、個々人の特性に応じた個人指導を実施してきました。

木曜日の夜に週一回練習している小中高校生の卓球チームから卓球指導の依頼がありました。そこに何度か訪問して練習相手をやりながらポイント指導をしてきました。木曜日は昼間に3時間の卓球指導があり、更に夜2時間の実技指導は体力の限界を感じます.。できるものなら卓球指導に行き若いパワーに触れ合いたいものです。

● 平成27年

昨年同様日曜日から金曜日まで毎日どこかで卓球指導継続中でしたが、4月からは金曜日の卓球クラブPECは会場使用の制約があり解散しました。
卓球指導している卓球クラブは光市、周南市熊毛地区の3つの卓球クラブです。この卓球クラブのメンバー約40名はベテランから初心者までいますが、個人特性に応じた個人指導を実施しています。

8月からホームページのほか、卓球のブログ「卓球する朗人」を発信しております。ブログはタブレットでも簡単にアップできて助かっています。その反動でホームページ「大江卓球教室」の更新がおろそかになりました。

● 平成28年

昨年4月から週4日の卓球活動です。卓球クラブは3つで約40名に卓球指導をしています。自らも卓球の技を磨きながら、各人の個性に応じた卓球指導をしていきたいと工夫し対戦しながら体を動かし卓球することを楽しんでいます。

卓球の指導を要しない人も、卓球クラブで一緒に練習することができます。
また、ときおり、お越しのメンバー以外の卓球愛好家の方も自由に卓球クラブの練習に参加できます。勿論、参加費は無料です。大歓迎しますので、ふらり突然お気軽にお立ち寄り下さい。

 
[「卓球と私」のトップに戻る]